箱崎ライフ by Kengo

大鶴 憲吾 1973年生まれ。東京造形大学デザイン学科 環境計画建築コース卒業。卒業後、独学で服作りを学びオリジナルブランドGROUを展開。2006年から箱崎に住まいとアトリエを移す

第5回「九大TRIP -1-」

 高校卒業以来、久々の福岡暮らし。それも1年ほどが過ぎた頃だったろうか。どうにも引っ越したくてたまらない、いや引っ越さなくては死ぬぅ、くらいな状態が訪れた。
 綺麗に整えられた街は、適度に都会。コンパクトにまとまった範囲でなんだって揃うように思える。少しいけば自然にも恵まれ、そのうえ物価も安い。程よい地方色もある。住んでたマンションは新築ピカピカ、東京では考えられなかったゆとりある生活、、、とくれば、なんだ理想的な住処じゃないの、と思いましょう?

 が、でも、しかし、butである。

「この街では窒息してしまう」これが当時の偽らざる心境。それもかなり切実。とはいえ諸々の事情もあり福岡県内からは動けない。死ぬのはイヤだしどうしよう、と候補地を探しているときに箱崎を訪れた。
 まずは定番、箱崎宮。フン、子供の頃にきた放生会が懐かしいねぇ。ぷらぷらと街中を歩く。中央区とは明らか異なる空気に、フンフンここなら息苦しさも和らぐかもな、なんてぷらぷらを続ける。そのうち九大の塀沿いにでる。歴史を感じさせるレンガ造り。フンフンフン、良い感じだねぇ、朗らかに正門から敷地に入る。

・・・衝撃が訪れた。

 そのとき味わった光景を的確に描写する文章力はなく、みなさんの想像に委ねます。だが自分の全細胞が一気に活性化するような、自身が原子レベルでガクンと組み変わったような瞬間。
あの感覚は今も忘れることができない。
 ここは何処ですかいっ???落ち着きを取り戻し、自分の生まれ育った福岡にこんな場所があったことに驚く。いやもちろん九大は知っていた。が、まぁ学力を主たる理由として自分には全く関わり&興味のかけらも無いところだったということ。まさに不覚である。
 西欧の香り漂う建築なども素晴らしいが、しかしそんな表層の奥にドキドキする予感を感じる。
抜けのよさ、隙間だらけな感じ、、、そう、この1年飢え続けていた感覚がここには溢れていた。
 あれから3年半が経とうとしている。その間、幾度九大を訪れただろうか。
散歩、思索、探検、、、、こちらの勝手な日々の要求に、いつも驚きをもって答えてくれたこの場所。おかげで、旅に出ずとも日常は鮮度を保ち、もちろん窒息死することもなく今日に至っている。
 だが、その九大も約10年後の完全移転を控え、日々活力を失っていくように感じられる。近頃は保存に向けた動きもずいぶん出てきているし、いくつかの歴史的建築物は保存されるかもしれない。
 しかし、建築マニアが喜びそうなそれらの建物以外の -例えば、人気のなくなった建物の裏庭や、そこに咲きほこる野花達が放つ光、例えば小さな小屋とそこに寄り添って立つ木との親密な関係-  そういったものは、移転後には完全に消失してしまうだろう。 いや、現在も木々はむやみに伐採され、使われなくなった建物にはベニヤが打ち付けられ、まるで放り捨てられたような状態だ。
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 何でもかんでも保存するべきだ、などと言うつもりはない。むしろ、そういったものは「保存」という名目で手を加えた瞬間にきらめきを失ってしまうだろう。
 しかし、何十年と働いてきた建物に対して、またその周辺の(設計者や管理者の思惑などを超越した)環境に対して、最期の瞬間まで目を向ける愛情があってもいいのではないか。 九大を歩き「あの愛らしい建物が、このまま朽ち果てるだけというのは、どうにも口惜しい」と言った友達がいる。そういった場所から受けとった感覚とともに作品を作った友達もいる。

 大学関係者各位、どうぞもっと自分達の足もとに目を向けてください。きっと、そこにこそ九大が100年という時をかけて積み重ねてきた、この地でしか生まれ得なかったが豊かさが宿っているのだから。

第4回「夏の夜」

 暑い。梅雨も明けぬうちから、もう真夏日連発。加えて湿度はしっかり残っているのだから、ちょっとたまらない。そんなわけで、今回はサラッとしたお祭りを紹介したいと思います。

 祭りといえば、先日まで博多の町は山笠一色。今年も、ふんどし姿の男衆達が町を駆け抜けた。勇壮である。勇壮ではあるがしかし、サラリな感じとはかけ離れている。追い山の時にこそ相応しい男達の熱気は、平日の昼間などに出くわすと少々もてあましてしまう。考えてみれば、大の男がふんどし姿でやる気全開なのだから、サラリ感とは真逆のベクトル。
こちらは素直に熱さを楽しみたい。

 また箱崎の祭りといえば秋の大祭、放生会。こちらも素晴らしい祭りだが、見世物小屋などの醸し出す空気感はどちらかといえば情念、粘着系。魅惑的であっても、やはりサラリとは対極の世界だろう。

 そこで紹介したいのが、箱崎の「人形飾り」というお祭りである。箱崎の網屋町というところに天神様を祀った一画がある。小さな祠がいくつか並び、観音堂もある和やかな空間だ。
 この辺りは名前からも察せられるように、古くは漁師町だったそうで、なるほど家並みや鯨塚などに、その面影を見ることができる。人形飾りは、その天神様の境内に人形を乗せた箱庭を飾り、子供達の安全を祈願する小さな祭り。夏の夜にサラリと夢の世界へいざなってくれる。

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 初めて人形飾りを見たのは一昨年の夏。家にいてもあんまり暑いので、小さな張り紙のお報せに多少の興味を持っていた、この祭りにふらふらと出かけてみた。
 天神様に近づくにつれ、普段の夜は真っ暗な道がボウッと明るい。境内はもちろん周囲の民家にも箱庭が飾られているためだ。静かに照らされた軒先で、子供達がお線香を供え、お参りしている情景がなんともいえず美しい。
 境内にはこれといった露天もないが、みな楽しそうに話しこんでいる。見知った顔もちらほら見えて、ほとんどが地元の人であろう。子供達のイマジネーションを詰め込んだ箱庭が夏の夜に浮かび上がるように並んでいる。 そんななか、子供達の上気した声の響きを聞いているうち自然とかつての夏が甦ってくる。そうして過去に想いをはせながら、一方では眼に映るもの全てが、ことごとくクリアーに感じられるようでもあり、その落差に夢を見る思いがした。
 ざわめきと静けさ、過去と現在、永遠と一瞬、そんな相反するものを矛盾無く捉えられた瞬間だったろう。

 思えば、夏は全てがフィルターを通さない強烈な季節である。それは眩暈を覚えるほどの体験となり、時に現実感を吹きとばす。そうして刻まれた記憶は、またいつかの夏に不意に顔を出し、さらなる記憶として積み重なる。耐えられない昼間の暑さも、不意の夕立も切にいとおしく感じられる夜だった。

 日々、大げさな刺激に鈍った感覚が、このような静かなお祭りに反応したのは不思議な気がする。しかし、地域の人しか知らないようなお祭りだがらこそのピュアな想いは、存外芯が強いのかもしれない。昨日天神様の横にある、おきゅうと屋さんで買い物をしたら「あのお祭りは500年ずっと続いとうとよ」と誇らしげに話してくれた。そう、もうじき人形飾りの季節、本当の夏が来る。


「箱崎人形飾り」7月23・24日 詳細は箱崎周辺イベント情報参照

第3回 「-SO-」

 「OH!あなたもSOですか?私もSOが好きです。」

 これは先日知り合ったばかりのイタリア人と、住所交換をしたときの彼のリアクション。
彼の流暢だが日本人とは微妙に異なる発音で発せられた-荘-という響き。なんとなく、古い集合住宅についてるもの、くらいにとらえていたこの単語が急に新鮮なものに思える。
 そう-ソオ-SO、、、こんな感じだろうか。例えば海外での宿探しのとき、オーベルジュやアグリツーリスモなどの響きの中に単なるホテルとは違った個性をとらえイメージを膨らませるが、-SO-という響きにもそんな個性が含まれていることに気づく。

 2年前、作業場を独立させるため、住居は少しでも安いところをと、いろいろな物件を探しまわった。予算の関係上アパート、コーポなどに的は絞られ、さんざん吟味したうえでセレクトしたのが今住んでいる-荘-だ。初めて部屋に入った瞬間の、単に古いだけではない心地よさ。壁に反射する光一つとっても、それは奥深いやわらかさで部屋をつつんでいた。

 実際に住み始めると、これがいろいろな意味で奥深かった。かつ手強かった。たとえば、大体においてこういう古い物件には、その建物の主のような方がいらっしゃる。まぁ先駆者と言おうか、ここに住んで35年みたいな人、あらゆる意味で建物を管理統括されている人。
 そこで、まずは彼(彼女)の敷いたルールを掌握しなければいけない。これは、もちろん不動産屋さんの契約書に書かれている取り決めなどとは全く別ものだ。無論マニュアルなどあるはずもなく、日々体得していくしかない。

 もちろん騒音などは論外中の論外、ありえない。音楽など聴こうとしても、極小音量でかえって落ち着かず、結果家ではほぼ無音状態。ドアの開け閉め、2階の廊下を歩くときなども細心の注意を払う。だって「壁が落ちるから」と言われれば従うしかないだろう。向こうが正論である。もちろん設備なども旧式のものばかりで、、、となると一体どこがいいんだ、と言われそうである。が、しかしである。

 例えば我が荘でいえば、庭-ガーデンの存在、これが大きい。玄関のドアを開けてから、アトリエへの道に出るまでの十数メートル程の空間。四季の花々の他、キンカン、山椒などが奔放に栽培されている様は、仕事前のカタさをほぐしてくれる。今はアジサイが満開だし、少し前まではケシの花がユラユラとアシッド感を撒き散らしていた。(これは自生です)部屋の裏にも通り庭があり、そこからは花梨の木漏れ日が美しい影を落とす。

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 さらには共同の洗濯干し場。これがまた至極便利。各自の住居スペースを圧迫せずに、広々と設置されているので乾きも最高、パキパキだ。これからはシェアの時代と言われるが、コルビュジェのユニテ・ダビタシオンを例にとらずとも、少し前の日本では当たり前の事だったのだろう。

 そして、この洗濯干し場や庭を美しく保ってくれているのが、誰あろう例の主やその他の先達。そう、彼らはダテに口やかましいわけではないのだ。よい関係を築ければ、急な雨のときなど、洗濯物がさりげなく軒下に取り込んであったりするし、採れたての竹の子を頂戴したりもする。思えば、ドアの開け閉めや足音に気を使う事で、自然と所作が変わってくるし、嗜みといったものも意識し始める。音楽も昼間に散々楽しめる環境なので、家では本を読めばよいだけの話だ。
 イマジネーションや知恵を駆使した結果が日々の生活に反映される楽しさ、お膳立てされすぎた生活からは得がたい経験である。きっと冒頭のイタリア人もそんなところを感じとっているのだと思う。

 確かに荘の生活は楽に楽しめるものではない、むしろ緊張感すら伴う。それは対人関係だけではなく、庭の植物や老朽化した建物との関係においても。しかし、そういった緊張感も本当の心地よさの中には必要なのではないか。少なくとも自分は-ユルクていい感じ-などと形容されているカフェなんかに行くと居心地が悪くてしょうがない。日本人が受け継いできた生活様式や空間感覚、そこには必ず適度な緊張感が含まれていて、人々に影響を与えてきたのではないか。

 最近は、古くからの学生街である箱崎でも荘の数は減ってきている。かくいう我が荘も定期貸家の条件付だ。諸々の事情から仕方のない面もあろうが、味気ないマンションばかりが増えていくのを見るのは、やはり寂しい。
 建物は失われても、せめてそこから受け取った感覚は失わずにいたいと思う。